公理とは?

で、公理って一体何だったの?

さて、前回はペアノの公理というものを紹介しましたよね?


 「次の5つの条件を満たすような集合と、上の関数が存在する。」

ペアノの公理って、確かこんな↑↑感じでしたよね?


さて、重要な点は、
我々は「ペアノの公理」という命題を証明も無しに用いていることです!!
本当は“以下の条件を満たす”集合や関数の存在性を証明したいところですが、
その証明を全くやっておりません!!
普通、証明もしていない命題を使うのは危険です。
真なのか偽なのか曖昧な議論になってしまいますからねぇ・・・


それにも関らず、我々は「ペアノの公理は真」であると“仮定”して議論を進めてきました!!
そう、もう分かりましたか?
“公理”とは、本当に根本的な“仮定”なのです。



別に、ペアノの公理の代わりに
“ペアノの公理の否定”を公理と置いてもいいのです。つまり
「次の5つの条件を満たすような集合と、上の関数存在しない!!
というのを公理に置いてもいいですよ!!
まぁ、これを“反ペアノの公理”とでも呼びましょうか(笑)
ペアノの公理を仮定する代わりに、
「反ペアノの公理」を仮定したら、
まだ我々が想像にもしない、新しい数学が生まれるかもしれません。



逆に公理がなければ、数学的な議論は何もできません。
まず最初に公理がなければ、
何が真なのか偽なのか、
何もかもが分からない世界になってしまうのです。

何を公理と持ってくるかは、数学者の自由!?

何度も言うようですが、
「私は絶対にペアノの公理を認めない!!」
と言っても別にいいのです。
そうしたら、また別の理論体系が生まれるのですから。


事実、後にも述べることですが
数学には「選択公理」という公理があります。
この公理を認めることによって、
ある定理が真になったり偽になったりします。

また選択公理を認めなければ、本当に議論できない数学の分野もあるそうです。


だから、どれを公理とするかは本当に数学者の自由なのです。



極端な話、
「1+1=2は当然だが1+1=3も成り立つ!!!」 という矛盾した命題を“公理”としても良いわけです。
そうすれば、我々の考えてる数学とは全く違った理論が生まれるかもしれませんね(^-^)

矛盾した公理

先ほど「矛盾した命題を“公理”としてもよい」と述べましたが、
矛盾した公理があると、少し問題があります。


例えばと仮定しますと、
両辺から1をマイナスして

が導出されますね。
そして順番に両辺に1をプラスすることで



 ・
 ・
 ・
と、全ての自然数は等しくなってしまいます(アンサイクロペディアぢゃないよ)。
そうしたら・・・訳わかんない世界になりますよね?


基本的に、矛盾した公理からは、
どんな命題も真であることが導かれてしまいます。
(↑これを“principle of explosion"と言います・・・とウィキペディアに書いてありました)

そんな理論・・・自明すぎてつまらないですよね?



ということで、
矛盾した公理からは、
全ての命題が真になる、というつまらない理論が生まれてしまうので、
公理系は無矛盾であることが望ましいのです。
このパラドックスがマズい理由、もうお分かりですよね?

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